2014年11月14日
033:釣竿の陰に正宗公あり
どうも、モッズおじさんです。
今日は野暮用で 明日明後日は来客対応で工房作業は中断です
以前地区の盆踊りと称した公民館(の中)での飲み会で
実際誰ひとりとして踊ってなかったよその人ゼロの謎の大会だったんっすわ
とにかくその飲み会で「たかだかちゅりじゃお(釣竿)でしょんな(そんな)値段なんておかちいよぉ」と
気持ちワリイ年寄りどもから軽い吊し上げを食らったんっすわ。
イイ色になってきました あと7回重ね塗りします
多分都会から来た新参者に誰がエライか教えてやるっつー例の奴だったんだろうけど、
クダラネエ。。。けどはてさてたかだか釣竿。。。
前沢や鵜ノ木が伊達殿の御領地でなければ
それこそ外様の奴ならそう言うのも充分理解できるんっすよ。
たかが釣竿も、こうやってバランス取って使いやすさを追求するんっすよ 写真古くてスイマセン
っつーのもね?徳川家康公が天下を取って江戸に幕府が出来て天下泰平になると
譜代外様と大名は江戸に単身赴任してお城に出勤したワケっすよ。
で、徳川を味方した譜代はイイ部屋に・豊臣を味方した外様は粗末な部屋に、って振り分けられて
イイ部屋にいた伊達の殿様は集合した各藩主のお国自慢を聞いたりしてたワケっすよ。
そろそろバンブーロッドのグリップも着手せねば。。。 漆のグリップ、なんっすよ
で、お城から今の新橋日テレがある辺りにあった伊達屋敷に帰る時
お堀っ端で釣りをする大名の二男坊三男坊とかを毎日見てたんっすよ。
で、伊達の殿様、ふっと閃いて仙台に使いを出したんっすね、
ウチの竿、持って来い、と。
製作から5年、まるで放置してたのにこの状態 作った俺の予想を超えてきました
で、ある日いつもの江戸城での各藩主のいつものお国自慢の大会の最中、スッ…と仙台竿を取り出すんっすよ。
「お!伊達殿、それは?。。。」
「コレか?コレは、我が藩で作らせてる釣竿じゃ」
「ほほぉ。。。コレは見事な。。。」
「我が藩ではたかが釣竿ごときと言えど一切手は抜かぬ、これだけの技術力があるんじゃよ」
「しかし、釣竿で。。。」
「いやいや、我が藩には優れた職人が唸るほどおってな、諸藩と違って手慰み程度の代物よ」
「何を?ウチの藩だってこの程度、いや、これを越えた竿が作れますぞ!」
「はてさて、口で仰るのはた易いが、実のところは、いかがなモノでしょうな」
「言いましたな?では、少々お待ちくだされ、目にモノ見せてくれましょうぞ」
っつー感じで伊達の殿様の挑発に乗った譜代の各藩は世にも鮮やかな釣竿を作るようになったとかならなかったとか。
驚いてください 1927(昭和2)年製のロッドが、現存するんです ショールームに飾ってます
それを仕事を持ってはいけなかった(飽くまで大名長男のスペアだからね)大名の二男坊三男坊が使う
それを見ていた商人が商売で大儲けすると真似して買う
江戸の経済が活発になると一大釣りブームが起こったんっすよね。
なんと、釣りと釣竿を発展させたのは釣りが趣味だった伊達の殿様の仕組んだ事だった、らしいっす。
岩手の人は知らない人が多いけど、世界で最も高品質の漆は岩手県産なんっすよ
恐るべし伊達殿のプロデュース能力。
実際文化文政の頃になると武士をやめて釣竿職人になるものが出たりいろんな格式まで付いちゃうんっすわ。
反面譜代で流行った釣り文化は外様にはほとんど根付かず
明治以降に東京からもたらされている、って事なんっすよ。
釣竿専用の自作の漆室 設計から施工まで全部自分でやって、6か月掛けて完成したんっすよ
だから西日本の人には「毛鉤やってます」っつーと大爆笑する人がいるんっすね。
まあまあ外様だからあの頃ブームに乗れなかったんだよね、これから楽しさ知って下さいな
で済むんだけど鵜ノ木のあの気持ちワリイ年寄りどもは。。。
釣竿をただの棒から商売として確立した伊達の殿様のご意向を「たかが」と完全否定する
そう仰るんでござんすね?何様だい??何様なんだい???
思わぬ大物が出て来て、面白いでしょ?釣りって。
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