2020年11月27日
A1181:追悼・矢口高雄先生
どうも、モッズおじさんです。
点画とは絵画ペン先を紙に叩きつけて線と面 陰影を表現する画法で故・水木しげる先生の点画は既に二科展レベルの
芸術度の高いもので それを体得しようと秋田から出てきた遅咲きの漫画家志望の男が一心不乱に練習しまして
11/19から コロナ第3波対策 でショールームは
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前沢工房時代には衣川に向かって道なり で衣川を抜けて胆沢ダムを抜けて ずーっと道なりに奥羽山脈を越えれば秋田に入って
南成瀬村を通過して 横手市に到着. まだ道なりでまんが美術館… と 落ち込んだ親方も連れてったっけ.
さて。。。一昨日からどうにも『忘れ物』が多くて。
POLANO 実店舗を知ってる皆さんなら この俺がまさかの所で忘れる癖を知っているから
老化現象 とは思わず いつもの通り『天然』だろ? とスルーするでしょうが
昨日は玄関に買い物バッグ忘れる 灯油買いに行く事すら忘れる 今日は何買いに行ったのか忘れる と
去る20日 矢口高雄先生が逝去なさった と25日に正式に発表されて… 普段滅多な事では動じない俺は平静を保って
生活してたつもりでしたが 心の根幹のほうで確実に『矢口ロス』に陥ってまして.

深刻なレベルの物忘れ に加えて気力が起きない… このブログも 何回も書いては修正
書いては修正 からの消去 を繰り返してまして。
俺が思ってた以上に 矢口高雄先生 逝去 が堪えているようです。
親方が絶望的な状況の時に 敢えて胆沢の国道を走破して連れてったのが「まんが美術館」で
おらほの里はスンバラシイ と騒ぐだけなら地元右翼の寝言 と聞く価値もない. けどそのスンバラシイを丁寧に紡いで
別の手段で表現すれば多くの人が共感できる. 矢口先生はそこの表現力が重要な事を 良く分かってらっしゃった.
思えば 俺にとってのバイタリティの源のひとつだったんですね。
去年 秋田のローカルニュースで「まんが美術館」リニューアルオープンに因んで
矢口先生のインタビューを放送した時 もう80歳かぁ… と時の流れに驚愕したんですが
不幸中の幸いと言えば 御年80で アシスタントを敢えて付けず ご自分の描きたいように
実際 魚紳さんが現れるまでの「釣りキチ三平」はローカル釣り漫画でしかなかったけど 魚紳さんの登場以来三平くんは
もっと大きな世界に飛び出して 10年続くロングヒットとなった… けど結局三平くんは 秋田に住んで秋田に生きる と.
『新・釣りキチ三平』をご自分のペースで描いてたワケですが 70年代から80年代を駆け抜けた
あの三平くんが『新』が付いたら急に時代にそぐわない『違和感』が随所から滲み出ていて
心ならずも そうか もう三平くんの時代は終わったんだなぁ… と読み取ってしまったワケですが
それでも俺が東北を目指して 今秋田県に居るのは 少年時代に読んだ三平くんのせいでありまして。
三平くん人気が続いてアニメ化の話が出ると ダイワ精工がスポンサーについて当時日本人に馴染みのなかったルアーと
フライフィッシング それにバスフィッシングを作品で登場させ ダイワ製品は爆発的に売れたのだとか.
実際我々の世代で三平くんの影響力は計り知れないものがあって
この年代で釣りにハマってる連中は大体 三平くんを読破して 三平くんを現役で追い掛けている。
思えば矢口先生は漫画界でも屈指の 影響力を持つ作家 で
後に社会問題にまで発展する バスフィッシング・ブームの仕掛け人だし
三平くんの人気にはいくつかの頂点があったけど その最初の頂点は「O池の滝太郎」で 元々UMAでブレイクした漫画家らしく
得意分野だけで纏めてるだけに 傑作エピソードとして今でも語られてます… 世の中に広くルアーが紹介された回 でもある.
ルアーやフライフィッシングの広告宣伝塔だったし 何より釣りの持つゲーム性の探求が
釣りの神髄である事を描き続けたワケで それだけに マガジンに連載していた10年間で全てを出し尽くし
矢口先生が生み出した『釣り漫画』のジャンルの後継者が続かない という皮肉な結果をもたらしましたが
思えば思うほど 凄い男がいたもんだ と呆れにも近い心境に達するんです。
矢口先生が勤務していた羽後銀行は 1993年秋田あけぼの銀行と合併して 現在は北都銀行として機能しています.
田舎では20代までに結婚して当たり前 ましてやお偉え銀行マンで 安定した生活をかなぐり捨てるのは どう見ても無謀な賭け.
その矢口先生は 秋田の田舎で培った自然観察眼から 秋田の羽後銀行勤務時に
漫画雑誌『ガロ』に作品を出品して入選したのを機に 田舎ではありがちな30歳で妻子持ち なのに
妻子を郷に残して 一縷の伝手だけを頼りにまさかの上京… 世間ではこういう男を 無謀 という。
夢を諦め切れずに人生最大の賭けに出たのはアッパレ ですが
実際後先考えず先入観と勢いだけで20代で結婚・出産… で人生の賭けに出ようとしても家族が足枷になって身動き取れず
その場で燻って… 自己実現の妨害意識がネグレクトの根底にある と俺は見る. 矢口先生のは 極めてレアケースですから.
POLANO の実店舗でも
結婚してガキのひとりも出来たら 既にアンタは身ひとつじゃない
人生最大の賭けに出たくても身動き取れねえぜ
賭けに出るなら ひとり身でいるのが大人としての責任って奴だぜ
とおとぎ話のような夢を見る常連さんには釘を刺すのだけど 俺の実体験ももちろんですが
矢口先生の 周りを巻き込んだ無謀なチャレンジを 根拠の一端に言っているんです。
当時から「漫画なんて」と色目で見られる世の中で 妻子持ちのオジサンが銀行辞めて漫画家目指して上京… と死物狂いで
大御所の手塚治虫や白土三平や水木しげるのアトリエに飛び込んで 死物狂いでアドバイスを受けた らしいですよ.
矢口先生は著書の随所にこの状況から売れるまでの苦労と苦悩を書き残してますが
背水の陣の当人はもちろん 秋田で待っていた奥さんと幼いお子さんの心境を察すると
気の毒としか言いようがない。。。 それだけの犠牲 想定してる?
その矢口先生は本名の『高橋』はキャラが薄いから と出版社からペンネームを求められて
最近では住宅街が広がってこの辺りもゴチャゴチャしていますが 多摩川の畔の矢口渡は 多摩川べり独特の自然が残った
緩い時間の流れ方が上京したての田舎者には良かったのかも… 秋田から見たら十分『都会』だけどね?
上京して借りた下宿の最寄り駅が目蒲線(現:東急目黒線)『矢口渡駅』から 矢口高雄
と名乗り いくつかの佳作の後 『幻の妖蛇 バチヘビ』を発表… バチヘビは横手界隈の呼び名で
一般的には『ツチノコ』と呼ばれる未確認生物で 瞬く間に漫画は大ヒット
各所が食いついて 日本に空前のツチノコブームを巻き起こしたんです。
70年代のツチノコブームに火を点けた張本人が 実は矢口高雄先生だったんです… 今でも語られる「ツチノコ」の情報は
大体矢口先生が震源地で 普通の人ならこのままUMA漫画家に走る所でしたが この男 尋常ではないのは確かで.
思えば思うほど 大した男だ と実力はもちろんその強運に呆れるばかりですが
御年81歳 去年のインタビューでは普段感じる生命感が薄らいでるようで気になったものの
お年を考えると仕方がないか と こちらとしても心の準備が出来ていたつもりですが
いざその時が来ると どうしても考えてしまう… まだ早い と。
締め切りに追われ仕事でアトリエに缶詰 で釣りに行きてえ… の感情が生んだ『釣りキチ三平』は 矢口先生の代表作
ってばかりじゃなく 後に『ワンピース』でルフィのモデルになった とファンの間では囁かれてますが… 可能性は 高い.
世にいくつものブームを巻き起こした火付け役の側面はあまり語られませんが
思えば本当に 大した男が亡くなってしまったもんだ 悔やまれてならない。
そして もうお年だから とこちらも1歩引いた所で捉えていましたが 亡くなられて初めて気づく
なんだか 片腕がもぎ取られたような喪失感。。。
心より ご冥福申し上げます。